1971年7月24日(土)公開刑期を終えて出所した福田清造と加東一郎は、、四十に達しようとする自分達の年齢を考え、まともな仕事につこうと別れることになった。それから一年後、東京港で荷役作業をしている労働者の中に清造がいた。彼は、急病人がでると医者のように手馴れた仕草で病人を治し、小金をためて故郷の緑ケ島へ両親の墓をたてようと帰ってきた。無医島であるこの島の娘を救ったことから彼は名医として扱われるようになったが、驚ろいたことに、一郎も偶然この島にきていたのだった。早速二人は東京へ帰り、一郎が偽造した医者の免状で、廃業寸前の後藤医院を訪れ、大学の医学部に在席しながら医者はいやだという息子の明夫、しっかり屋のおばあさんとめ、看護婦の弘子をまんまとだまして住み込んだ。やがて、はらはらするような診察が始まった。ところが、救急車で運ばれてきた医師会会長五十嵐の手術に成功してから病院は急に繁昌しだした。そんなある日、清造は人気女優真田ユリを始め、お尻がかゆいと訴える人が多いのに気付き、原因は近くの川上食品が怪しいと怪んだ。数日後、五十嵐の世話で美人女医由美子と見合いした清造はすっかり彼女が気に入ってしまった。由美子も、公害ともいうべきカユイカユイ病に対する彼の熱意に感心し、応援した。しかし、清造の行きつけのバー「サイレンス」のママ信子は、そのことを知ると悲しんだ。彼女は、営業上口が不自由な振りで通していたが「君の病気を直してあげたい」と、親切にしてくれる清造を愛し始めていたのだ。一方、一郎は調理師の免状を利用して川上食品へコックとして勤めはじめた。川上は、昔二人を騙して苦境に陥し入れた憎むべき人物で、金で会社への批判を封じ込めようとしたが、二人は断わった。医師会の連中も、厚生省の役人も、清澄に協力しなかったが、彼は正義感に燃え、自らインスタント食品を食って実験台となって頑張った。そんな時、清造は、全てを調べた由美子から縁談を断わられてしまい、その上、手遅れの患者を死なせてしまって梢然とする。そんな清造を慰めるのは信子だった。清造と一郎は、この仕事もそろそろ汐どきだと考え、そして、島に帰って今度こそ真面目にやろうと決心したものの、川上食品の社長に対して怒りが治まらず、行きがけの駄賃に、食品会社に赤痢を発生させて、社長を脅迫しようと計画、一郎をおとりにして大金をまきあげた。清造は信子を連れ、一郎と一緒に緑ケ島へ帰ってきた。ワクワクして船から降りた三人の前に現われたのは刑事だった。