企画製作=縄文映画製作委員会 撮影=原正 録音=菊池信之 音楽=廣瀬量平 青森平野が八甲田山の山懐から陸奥湾に向かって広がり、その西側には小高い丘陵地帯がなだらかに続いている。この丘陵の海に向かった先端部分の台地に三内丸山がある。青森市の郊外。周辺には縄文時代の遺跡が多く分布する。 江戸時代後期の漂泊の文人菅江真澄は、1796年、桜見物に三内を訪れ、「この村の古い堰の崩れたところから、縄形、布形の古い瓦、あるいは、甕の壊れたような形をしたものを発掘したといってあるのを見た。」と遊覧記「栖家能山」に記し、土偶の頭部と土器の破片のスケッチを添えている。 発掘調査はこれまでにも何度も行われ、縄文時代中期の遺構、遺物が発見されている。 1992年、青森県営運動公園拡張事業による野球場の建設に先立ち、発掘調査が始まった。 調査は、青森県埋蔵文化財調査センターが担当し、全国からさまざまな分野の専門家が参加した。当初は、2年間の予定であったが、遺構、遺物の量が膨大で、発掘調査は3年間となった。 1994年4月、私たち撮影スタッフは遺跡の近くに一軒家を借りて撮影開始。そこから毎日発掘現場に通う日々が続いた。